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日常のことを思いつくまま綴ってます。
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ヒトはなぜ

と、自問自答したくなるときがある。

それは「自分の存在への反省」を「ヒト」に例え、
誰にでもあることのように置き換えてしまいたくなるからである。


芥川龍之介も太宰治も若くして死んだ。
死に方は惨めなものでしかないと僕は思う。

「自」を問い「自」と共生出来なかったからだ。


人間は泥臭いと思う。

器用なヒトもいて、「人間づきあいが大好き」なように振舞うヒトを見ると、
僕はいつも疑念を抱いてならない。

本当に「赤の他人たるヒト」を、最初から無防備に「好きだ」と表現できるヒトがいるものかと。


相手のことを何もわかっていないままに
相手のことを受け入れようとするのは、非常に難しいし、度胸もいる。
そのはずである。

でも、受け入れようという「隙間」がなければ
「他人」を「知人」にし、やがて「友人」になり「家族」のようになることは出来ない。
と、なれば、「隙間」を作るような、生き方をしたいと思う。
しかし、忙しいと言うか「慌しい日々」の中で、心がけるまもなく時間は過ぎたりしてしまうものだ。

「会いたい時に、あなたはいない現象」に陥るのだ。


話を若干戻すと、芥川にも太宰にも、「輝かしい日々」があったことには変わりない。
でも、どちらも「輝いて燃え尽きた」のではなく、無理やり「磨き、輝かせ」過ぎたのではないかと思う。

ヒトはなぜ...。と頭の中をかき回すのと同時に、
「自」と共生するための「自」に押しつぶされないようにしなければ「歪み」は絶対に生じる。


ヒトに溺れすぎないように、「自」とのバランスを取りながら、
地域、社会、現在、過去、未来と共生していきたい。

しかし、「自」とのバランスを取ろうとするあまりに、
地域、社会、現在、過去、から心も体も距離を置くことはゆるされない。


「ヒト」と言うのは不思議なものだ。


このブログを書き、そして誰かが読むことで、誰かに影響を与えている。
だから、一度は(2008年を境に)、僕もインターネットに名前と作品を残すのをやめた。


共生できないと考えたからだろう。
明日も、このような「あしあと」を残せるかどうかはわからない。
明日どころか、この5分後に更なる「あしあと」を残すかもしれない。
明日はこないのかもしれない。

ただ言いいたいのは、

「僕はもう、病んではいない」

受け取り方は好きにしてもらっていいけど


僕はもう、病んではいません。

あまりにも、関わりたがるヒトの群れに目を伏せずにはいられなくなったので、
逃げ出したのです。



僕は廃者です。



今、青春を謳歌して、29歳になりますが、
最近白髪が増えてきて、「見た目」は40歳を超えたような「風貌」になりました。

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