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止まった時計

久しぶりに悲観的な要素も踏まえてブログを書いてみる。。。

自宅には「時計」と呼べるものがいくつもある。
掛け時計、腕時計、砂時計、携帯電話の時計、腹時計

などなど

現在の時刻を、適時確認するために「それら(時計)」は存在するのだが、
こと私のような(現在は雇用は確保されていても『実態は無職』)存在になると

時間と言う概念がなくなってくる。

そういえば「いま何時」「そうねだいたいね」な(わかる人はわかるフレーズであるが)、
感覚なのです。

「過ぎた時間は過ぎた時間、いまを大切に」と前向きにもなれないし
「あ、もうこんな時間だ、そろそろ◎×しないと」と言った責任感も駆られない

この状況を「時間」に表すと「◎時◎分です」と表現できるだけでしかない。

自由とも言えるけど
不自由であり

不毛な時間が行き過ぎていくだけなのです。


約束は作ったほうがいい
でも破れそうな約束はしないほうがいい

これは時間に関してでもある。

私は決められた時間は極力(よっぽどの理由が無い限り)は守るほうだ
でも、破れる(られる)ものであれば、はなっから「しない」のが原則でもある。

時間

でも、器用には時間を使えるわけではないので
いつも30分前以上前には「約束の時間」の場所(付近)でぶらぶらしていたりするのです。

もったいないし、それこそ不毛だと思うけれど
そうせずにはいられないのです。

「相手を待たせてしまっては申し訳ない」と過剰なほどに。

ただ、思っても見ると

約束をした相手と約束をした場所、時間にめぐり合えなければ、
「私は、確かにあの場所にあの時間にいたのです。めぐり合えなかっただけなのです」と、
どこかに責任を負わせようとしている自分が「居た」に過ぎないのではないか。

とも思ってしまうのです。

時間という概念が嫌いなのです。

時間に左右される人間関係やモノゴトが苦手なのです。

自分は最善を尽くしても時間という「有無を言わさず、根拠を示してしまうアイツ」が憎いのです。

時間を無視した生活を強制的にこの3日程過ごしてみました。

気づいたのは「堕落してしまう」ことでした。


昼過ぎに起き、夜に活発に働き、朝は眠りに付く
この世の中では「至極当然」な生活をされている方は少なくないし、職業においては重宝される
そんな場面はあるでしょう。

でもどんなことであれ「約束(その日、そのとき、その場所に)いる」為に調整していることが前提で
「たまたま」ではないのです。

だから刻むものが欲しい。

「いま自分は何をしようとしているのか、何をすべきか」を判断させるために刻むものが欲しい。

それが時間で、それを示すのが「時計」なのだと思います。



時は止めることが出来ませんが
手近な時計をみたところ秒針は止まっていました
病身の私にとっては実に都合の悪いものです。

休養の上にも、規則正しい生活がなによりでしょう。

この時間はこの様に過ごそうと、こころがけていきたい。

この時間は決まりごとがないから適当に、と、堕落した人生を送らないように、こころがけていきたい。

時間は「自分の意思」を無視して黙って進んでいくが
時間の使い方には「自分の意思」を尊重出来るのだ。
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