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頭文字”M”

僕の母は倹約家だった

だった

と、言うのは

今は僕が成人し、母に物を買って貰ったり
教育を受けている関係を、義務教育を終えた時に
すっぱりと絶ったからである。

はてはて論題であるのだが。

僕の母は買い与えてくれる物、手当たり次第
言い切ってしまえば
”食べるもの”意外には全て”名前”を入れる人だった

僕にしてみれば
『そこそこ流通している物だし、別に他人がほしがり盗まれるような物』
を僕は強請(ねだ)ったり、手にしてはいないつもりであったのだが

母から見れば
『それはそれは大層なもので、子供に世界で只一つしかない宝物を与えた』
ような事だったのであろう。

裕福と言えば裕福
しかし

節約をやってた家族であった

梅干しの種の中身を割ると

食べられる種子がある

それを『天神様(スガワラノミチザネ※学問の神)』なんて言って

食べさせていた母であり、その母には更に節約・倹約を貫く母がいる

ははのはははまたはは(母の母はまた母)
きのみななのままはきのみきのまま(木の実ナナのママは木の実木のママ※着の身着のまま)
であるが。。。

小学校に入学したときの僕の勉強道具は
ぼとんど『ひろき※兄の名前』を二重線で消して『まさき』と心持ち大きく(おさがりなのをキット気遣って)書いてあった。

小学校三年の時の三角定規は『マルキ(?)』とマジックで書いて
間違っちゃったと言いながらさりげなく『まさき』と読めるように修正してた(男の二度書きはやめなさいと、あんだけ言っておいて)


中学生になってバスケットボール部に入った時
シャック5と言う、1万9千円もするバスケットシューズのロゴ部分に『M.I』とデカデカと書かれ
友人から『価値が下がるぜ』と言われた(『まさき』ではなかったのが、母の心遣いか。。。)


そう言えば、小学校2年生の時、『ないしょノート』を作った

もちろん、学校の先生の方針であった

『先生あのね』と、言う子供心の表現の場、『お母さんあのね』と言う秘密にしたい
子供の成長の体験談を自由に書き込めるようにした

画期的なノートだったのだそうである。


しかし

先生がネーミングを考える間

『タイトル』をつけるため、シールだけ貼られていたノートに

母は大きく『泉雅樹※僕のフルネームを書き)、『日記』とデビューしてまもないノートのシールに書いたのだ

趣旨もへったくれもない。


雅樹が日記を書く


それだけが望みだったんだろうか

今、思い出せることがある。


『遅くなりましたが内緒ノートと名前をつけて、マサキ君と、一日の出来事のお話をする『日記』に使います。お母様から『日記』と書いて頂きましたが申し訳ございません。』

先生の書き込み。

子供に理解出来ないとでも思ったか!!

今でもトラウマー(女神転生の呪文みたい)

翌日から母が書いた『日記』のシールの上から『内緒のーと』のシールが貼られていたが
かすかに透かし苦い思い出を噛みしめていたように思う。




あの

ノートは

残っているだろうか

価値は

置いておいても

読み返せるなら

読み返してみたい



まだ


僕が

僕らしくあった

日のことを





























































ナイショダヨ
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