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日常のことを思いつくまま綴ってます。
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とは、関係ないブログです。タイトルは架空のものでありますが、本編はノンフィクションです。
本日は、グループ会社の政策発表会に行ってきました。 あくまでも「代理」ですが。 そんな場所に名前を並べて、傍聴する資格はない!!と言う訳ではないですが、 あくまでも「代理」でした。※ピンチヒッターともいいます。多分。 内容は全社員が正しく理解しすることが出来れば、個人的には「利益を生み成長する企業として転換できる」と言う 将来への期待で膜をはりつつ、根源としては「お客さま(『さま』がひらがななのがポイントですよ。)第一」の目線で 行動が出来るものだったと思います。 30万人規模の会社。すごいスケールかもしれません。 ポジティブに一人ひとりが持つエネルギーを発揮すれば、どれだけ素敵な会社でしょうか。 しかし、耳に入ってくるのはネガティブなことばかりです。 それは「正しく政策を理解するとともに、それぞれの意見を発言し同意を得て、発言者の責任の範囲内で活躍する場が担保されていない」現実があるからだと思います。 私が所属する組織は「所属する組織(会社や自治体)を愛し、その組織を良くするために発言し、責任の範囲(懲罰も時にしてあるが)で行動できる仕組みがある」素晴らしい組織であります。 しかし、反発があるのは「そうでない」と思い込む、ネガティバー(古臭いにおいのする、なにをやっても儲けた時代の人)に、新しい組織を毛色で識別し、「昔より面倒くさくなるならやめるけど、文句だけは言っておこう」と言う認識を持たせてしまっているからである。※リラックマ著「最後のラウンド(2019年・冗談社刊行)」より。 何が言いたいと問われれば「将来への夢を私は描きたい。だが、複雑化した現代社会の中で、障害を作っているのはどこなのか、わかりづらくなっている。それをわかりやすくすることが一番の解決策ではないか。これだけ広くネットワークが(人と人も、パソコンとパソコンも)出来ているのに、答えをみつけるのに時間がかかってしまっているのか。例えるなら自分の正しい血液型を調べるために、医者に聞いたとする。医者は答える「検査したものでなければ、わかりませんし、ここにそのデータはありません。もう一度調べることも出来ます。ただし、調べた結果を報告する責任を私はとりますが、それにより後日、問題(輸血などの場面で)が起こったときには、責任を負いかねます。なぜなら、調べるときと報告の責任のみで、問題が起こった際の解決については私の責任の範疇外ですから」と、言った具合になる。 ここまで書いてから、要約すると、「自分の責任の範囲」を人間は作りたがる。 そのほうが逃げ道を作れるからだ。 「どこそこに聞いてください」とか「私にはわかりかねます」と言う形である。 けれども、人間は「認めたがられる」その方が生き延びやすいからだ。 「自分が役に立つこと」をアピールするような(姑息なことだ)振る舞いを好むのだと思う。 私は最終学歴は中学卒であるが、大検(ふるい)や、基本情報処理技術者試験(これもふるい名称)をとりながら 今の会社で正社員として働いている。 「正社員は仕事をしていない、いらないやつらばかり、なぜ高給とりなのか」いろいろなパートタイマーでお客さまのために日々、貢献する皆さんより小火声を聞く。 私なりにその問いに答えはある 「正社員の仕事や役割があり、それは皆さんとは違うのである。もし、これからの時代に正社員と同じ水準の『見返り』を求めるのなら、時として本来求める『水準』の仕事をする責任があることを理解して正社員の道にチャレンジして欲しい」と、言うことだけである。 組織も、地域も、社会も、国も、世界も、宇宙も、「自分」が思っている以上に広い。 その対象に対峙して、きちんと責任を果たせる勇気がなければ、何事も成しえない。 たとえ「よくしたい」と思っていても、実行していなければ実現されない。 「思う。」だけでは充分ではないのだ。そんな、「思うだけ」の人が増えているように思えるし、 きっと私も例外ではない。なぜなら、今と言う「時」を作っているのは、ひとつひとつの命であると思うからだ。 難しいことを、さらに難しくいうのが偉いとみえる そんな世の中になった 難しくもないことを、難しくいわなければ賛同を得られないと勘違いする そんな世の中になった 「なった」と言い切ってしまったが、「なりつつある」とも認識せねばならない。 確定してしまってはいない。修正できるものもきっとある。 一人ひとりが「輝ける」場所を私は探し続ける。それが私の「生きる道(意味)」だと思う。 「Iprvβとネットワークの組織での有用性について」は本当に、適当に作ったこのブログのタイトルである。 しかし、私は「Iprvβとネットワークの組織での有用性について」と言う架空の「論」が現実に対話される話題となり、 多くの人が考え、選択し、結論を得た上で「すべての生命の幸せ」につながることを願ってやまない。 ※やなすぅぇとぅうわくわすぃー「アソパソマソとカレーパソマソ」の一説。深長社刊行)」より。 PR 前回の更新から1ヶ月強が経ちます。
「いつものことながら」かもしれませんが(苦笑)お許しください。 最近の状況を、少し駆け足となりますが報告します。 ①今の仕事 仕事と言う表現は好きではないですが、労働組合の仕事を今年1年も続けさせていただくこととなりました。 担当は情報収集と発信、インフラ(主にパソコン操作や仕組みの構築)などの担当です。 役割は5年前に戻ったのですが、5年分の経験(苦もあり・楽もあり)を踏まえての再スタートです。 ②家族について 少し精神不安定(大げさになるほどではありません)な自分と ほがらかな嫁、体質がちょっと心配だけど元気に成長している長男と千葉で「ほのぼの」と暮らしています。 と、言っても「表現のしかたの無い」トラブルと日々対峙しながらです。 ③最近の印象的な出来事 さらに駆け足で最近のことを端的に書きます。※ここからは深い推測は不快感をもよおすかもしれません。 以下箇条書き ・所沢の警察に出頭した(どきどきするね!!やっぱり!!!) ・10月は毎週土日のいずれかは「すたみな太郎」で肉を食べまくった(胃がもたれるね) ・イブイブ(長男)が歩行中級者になった(興奮したとき、イブイブは「ふーん!ふふふーん!!」と声に出す) ・好きな飲み物がビールから焼酎に変わった(朝のアルコール抜けがよい) ・BRAHMAN熱が再燃(音源収集中) ・魚より肉を食べるようになった(やっぱり、「すたみな太郎」) ・昔、勉強して国家資格をとった時の教本をブックオフで800円で買った(ちょっと値段が高かった) ・日本の未来を考えた(民主主義として) ・日本の未来を考えたつもりだった(新聞やテレビを見てがっかりしたので) ・日本の未来を考えたつもりだったが、まず自分の将来を考えるべきだと気付いた(根本がだいじです) ・でも、考える前によっぱらってて気付いたら「比gjrくぇうw5f0tfjkgkウェjgc@wさtgwjhrpyt54jh9-具jfmfsw-w@」とキーボードを打ってた(!?) ・と、「キーボードを打ってた。」と表示されているパソコンの画面を見ながらブラインドタッチ(これは、いまや死語※それさえも死語か..。)を見て、もう一度キーボードで打ち直すほど冷静でいた(焼酎のありがたみを、ちょっとだけアピール) 以下は略しましょう。 ④総括 イキイキとしているひとが好きです。 イキイキとしている家族が好きです。 そしてイキイキとしている自分が好きです。 「自分が自分のことを好きではない」人が、自分のことを差し置いて「誰か」を好きになれることは、きっとありません。 私は、マズローの5段階の欲求を、時折目にしながら思うのです。 ひとつの、かけがえのない生命として生きることができ、 大切にしたい人と暮らすことができ 与えてもらえる役割と責任の及ぶ範囲で仕事をすることができ 取り巻く環境に対して貢献することができ 自分自身と家族の「生き方」をみとめて更なる夢を描ける 輪廻と言うのでしょうか そういう人間になりたい!!! と、思いながら、期間(季節)限定の赤霧島のボトルを抱きしめながら、寝ます。 追伸)僕と出会ったことにより、迷惑を被ったと思う人もいるかもしれませんが、 「あの日・あの時・あの場所で」出会わなければ、「今の僕はいない」と常に念頭に置いて生きてます。 どんな困難に巡り合おうとも、まずは「生きる」ことを忘れたくないのです。 最後に悪態(かもしれません)をついたようですが、お許しを。 おめでとう!!俺!!
と、自分から自分へお祝いをしてみました(今までなかったかな、こんな気持ち) 2012年9月3日(月)私の誕生日でした(いつの間にか三十路) 最近はFaceBookをメインに、ネット生活をしています。 たくさんの励まし・飲み誘いメールありがとうございましたm(__)m 気づいたら千葉に来て2ヶ月が過ぎました。 決して平穏な日々ばかりではなく 想定していた谷(気の落ち込み)や、想定できなかった山(ハードルの高い仕事)はありましたが 「ぼちぼち」で、乗り切っています。 と、言いながらも先送りしていることも散見されるかもしれません。 「私なんだから私の出来る今以上のことは出来ない」というような名言がありますが 肝心の「私」をつくる準備・練習は日々の中に転がっているのだと感じます。 「私らしくあった日々の中で築いた関係は、ちょっとやそっとじゃびくともしない」と感じ 今日、本当に久しぶりにメッセージを送っていただいた仲間に感謝したいと思います。 いい歌が1990年代にヒットしました。当時CDシングル(8cm)を買ってもらい聞き続けてました(当時は小学3年生) 「まけないこと・なげださないこと・にげださないこと・しんじぬくこと」 「だめになりそうなとき・それがいちばんだいじ」 お分かりになる方多いと思います。 言葉は勇気をくれる 言葉にせずに 想っているだけじゃいけない ハッピーバースデー 今まで自分に対して 言えなかったのはなぜかはわからない。 でも、自分を知る一番の人間は自分。 自分と向き合って、明日からも生きて行きたい。 おとといは従姉妹と
昨日は両親と 電話で会話をしました 元気にやってます と 伝えている 普通のことかもしれませんが 「元気である」と実感しながら生きているから 社会と断絶した3ヶ月間はあったけど 生きていることの喜びや 何かに夢中になることの楽しさが 今はあります 「元気です」と皆に伝える時の「むずがゆさ」を感じながら 皆のミエナイチカラに おかげさまです と 目を閉じて応えています
7月も中旬を過ぎて、千葉に来て2週間以上が経ちます。
と、言うのは前回のブログで書きました。 ちょうど、嫁の友達(もちろん僕の知人でもある)の結婚式で 嫁と息子は金沢市に帰省しています。 え!?まだ帰ってきてないの!? HEADさん。。。とうとう。。。逃げられた!? と、これも前回のブログをごらんの方は頭に@「!?」が浮かんでいることと思います。 何があったのかと言いますと 帰省中に、嫁の体調不良があり、千葉への帰宅を断念。 そして、愛する息子の誕生日(昨日:7月18日)に、息子のまさかの発熱!! どうも、生後6ヶ月~1歳くらいにかかる突発性発疹のようらしく、 熱が下がらないのが一つの症例(そのうちブツブツが出来る、成長には影響ナッシング)の、どんな赤ちゃんもかかる症状らしいというのは わかって安心はしてます。 しかし残念です。 1歳の誕生日も、2年目の結婚記念日も泉家(あ、私の苗字です。断りは念のため)一家は 離れ離れでありました。 嫁とも話をしましたが、一家離れ離れですけど、「これくらい」で済んでなによりかもしれません。 「千葉への帰宅途中に『なにか』」が起こった。。。と言うことにはならなかったのだし。 寂しいけど。 男やもめの暮らしは。 でも、家族で困難を乗り切っているんだから、無事に再開できるのを願っていようと思います。 それに、飛んで帰りたいけれど、僕には羽は無い。 また、「大変だ!!息子が発熱した!!」 と、僕が金沢に飛んでいったら それはそれで、後で嫁に「交通費の無駄遣い」と叱られてしまいそうである。 この2週間を振り返ってみると 僕は僕で「僕らしくやれている」と、うつ病で休んでいた3ヶ月を少しずつリハビリしているし 嫁は嫁で、困難を乗り越えながら「おかあちゃん」になっていってるし 息子は息子で熱と戦いながらも、大人に(子供らしく?相応に?)なってってる 要約すると、「幸せ」だ。 幸せこそ 人生の 源泉 かな。 | カレンダー
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