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日常のことを思いつくまま綴ってます。
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と、言う文章はやっぱり今日も書きません。
たまたま目に留まった袋のラベルが「おしゃぶり昆布」だったので、タイトルにしてみました。 以下、少しだけ最近のことを書きます。 千葉に来て、あっという間に5ヶ月が経ちました。 労働組合と言う性質上、会社とは違うタイミングで新しい期をスタートしていますが、 携わる分野は変わらなかったので、今いる土地への配属は、 「中間期の異動」であった言うこともあり、大きく変わらない日々を送っています。 中間期での活動(3ヶ月間)は、私にとっての「助走期間」となったことが、何よりの力となっています。 例えるなら「『せーの!!』の定期異動で、新しい土地、新しい役割、新しい仲間との出会いに戸惑いながらも、馴染んでいこう」と言った『渦中』にいなかったことが救いでもあり、でも、もったいなくもあり(どっちやねん)。 ここまでブログを書いてみて、今日の「言いまつがい」に気づきました。 『その論争の「渦中(かちゅう)」にいなかったので』と言いたかったはずなのだが 『その論争の「きょうちゅう」にいなかったので』と言っていた、気がする。 私の主張を聞いてもらった方には申し訳なかったと思う。 『渦の中(かちゅう)』にいるのと『胸の中(きょうちゅう)』にいるのは、大きく違うぞ!!! 膨らませて言うと『渦中』なら、他者との『ぐちゃぐちゃ』だし、『胸中』なら自己の『ぐちゃぐちゃ』だと私は解釈しています。 でも口に出したのは『きょうちゅう』でした。 どう、受け止められたのだろうか(しかも、相手は取引先!!ガクガクブルブル) いいほうに解釈されてたらいいな。でもそうでなかったら...。 悪いほうだったらどうしよう!!ガクガクブルブル...。クビかな....。ブルブル。 と、それこそ『胸中』は揺れ動いているのですが、結論は。 「みなさんが『どのように胸中』の理論を議論されたか、また、何故、お一人おひとりの想いが『渦中』に入ってしまったのかはわかりかねます、しかし....。」くらいにいえればよかった!! それだけはわかってもらいたい わかってもらえていると 思うのだけど PR と、タイトルをつけましたが、正確な今の(本当の書き始め)時刻は23:07分でした。(1分間も何をナニしていたんだ!!)
もちろん、このブログを読んでいただいている方にとっては 数時間経った後になっていると思いますし、 もし、読み返すことがあったりしたのであれば、数日後にこの文章を パソコンをはじめとする、ICT(インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジー/情報交流技術=今ではSNSが主流)を通じて読まれていることでしょう。 と、言うことで(本文に入る前の『と、』が久々に入った)本文に入ります。 今回の論文テーマは「裸婦から見る『ラフとビジネスの境界線』及び、「ジョークから読み取る『序句』について」です。 ※そんな日本語としていかがなものかという論説は、しません。お約束として書きました。 パチパチパチパチ SNSの「脅威」と、ネット中毒について論議しているTV番組(僕はあまりTVは見ないけど)を見て もっともだと思えたことがいくつかあった。 「最近の『欲』のなかで、性欲よりも食欲よりも睡欲よりも、海水浴よりも、『SNS』をやりたい!!というヒトが増加している」と言った論説である。 SNSとは「そうだね・ねぎがね・しこうにはさまってね」の ことではなくカタカナ表記するならば 「シオガネ・ナクナッテネ・サトウデダイヨウシテモダメ」でもない。 双方向通信のことDEATHよ。 双方向=お互いからお互いにとも、言うんでしょうか でも、お互いが必要とするときにお互いになんでしょうか そもそも、お互いがお互いにお互いのことをお互いさまとして 「必要」だと言うことで「接続(※接合や合体じゃないよ※※もう、エッチ)」するからこそ効果を発揮する。 で、脱線しましたがSNS(そうだね・なんでもね・そうだよねと言ってるほうが、楽だよね)は ***で@@@でpppで「「「「で666により、?????になるから+++++した方が&&&&な訳ですよ(何が!?) 書きたくも無いことを各ブログで書くならば、死んでしまえばいい。 書きたくなかったら死ね と、言うくらいSNSに依存する方は苦しんでいるのではないだろうか しかし、それ(SNSを中心とした生き方※SNS依存者の殆どは、SNSを通じなければモノをいえず、人間としての存在意義を失ってしまいかねない状況にまで生活環境は逼迫してしまっていると聞く)が全てだと、まるで生命線のように依存していく人であれば、不特定多数の閲覧者がいると言うリスクはあっても、私が生きてきたこと(「他社から見れば路は未知であっても、一つの生き方」として捉えてもらうのであれば、それで結構」など)を主張することが出来ることを鑑みれば、実に便利なことであろう。 おそろしい SNS くるおしい SNS いまや標準語の域 SNS ほんとうは叫びたい SOS でも縋り付くのは SNS お電話一本 SNS 玄関開けたら SNS 私は SNSで 会社を辞めました 23:42 じゃゆいたwrぴぇあいりぇいあpちゃp(「書き始めてから40分近く経った」とタイプしようと思ったら『じゃゆいたwrぴぇあいりぇいあpちゃp』と画面に表示されていた) もう夜更けである。 人間は人間として人間の出来る範囲で人間としての役割を地球上で全うしよう (指先は勝手にきーb9-d-じょ@※『地球上』とタイプしようと思ったら『きーb9-d-じょ@』になってた。) 訳がないじゃないか この、論文をまともに読んで、正しく理解して、明日の国、明日の世界、明日からの輝く未来に向けて生きる 君は素晴らしい!! そこまで思うことなく、何事も無かったように、世界は動いている(自分で考え行動している以上に) 書き終わりは23:55 子供は寝る時間でございまする。 ※僕は脱報ハーヴも、その他のど楽具も、塚って尾り魔背ン、野ん陀駄毛死。赤樹李志磨。 結局日が変わって....。 ブログを毎日更新しています!!と豪語しておきながら、やっぱり数日おいてしまった。凹。
機械ではなく人間(ヒト)に向き合うようになっているからである。
向き合うのは「人間(ヒト)との出会い=機会(これも『きかい』)」になったのである。
文章として論文口調は嫌い。
でも、文章を記すなら書きやすい。
しかし、文章からは読み取れない「呼吸」は口に出さないと伝わらない。
だから、勇気を振り絞って、縦のつながりにも、横のつながりにも
コミュニケーションの一つとして『呼吸』の様な『言霊』を出しています。
10万人を超える従業員がいる会社に在籍している自分。
10万分の一人であることを、良くも悪くも「理解して」いる人ってどれだけいるのだろう。
10万人の一人と、言う看板(社名を背負ってるから)
10万人の一人と、言う肩書き(社名を背負えるから)
10万人の一人と、言う規模(選ばれていると言えるのかも)
10万人の一人と、言う仲間(ほんのひとつのアクションが世界を変えられるかも)
と、ふとね。
考え込めば考えるほど考えるのは無用なようで
考える一方で考えないことを願いつつ考えるのだけど
考えても仕方がないと思う頃には
考えていて良かったと思えば考えすぎないほうが良かったと思うこともあり
考える方向性が違うと言われさらに考えが深まってしまい
考えるのをやめたくても考えるのをやめられず
考えてしまいたいと思ううわけだが考えることは人間なのだからし方の無いことと思いつつ考えに考えがつもりさらに考えが考えを呼び考えるがゆえに考えてしまうわけで
考えるのをやめたとしたらと考えてみるも考えるのは.......。
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『ハゲの文化人』
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『バッファローとipod touchの接続』
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適当にキーボードを叩いて
気持ち悪くなったところで
今日のブログは終了。
明日は絶対!!社員食堂の天ぷらそばを食うぞ!!
※このブログに隠された暗号の「こたえ」がわかったかたに
特別なプレゼントを、実は用意しています。
※「こたえ」がわかった方は毎朝起床後に「クレイジー***」と叫びましょう。
天国へいけます。(それが、私からのプレゼントDETH!!)
この、ブログを読んでいる「あなた」は、私と違う空間であったとしても
今日という日を生きていた人でしょう。 それを前提に。 今日は、いつもどおりに会社に行き、 前々から上司より連絡が来ていた「人権研修」に参加させてもらいました。 「参加させてもらった」という、感謝の想いで受講出来たことが大切です。 カリキュラムとしては、グループとして推進したい「人権と多様性を受け入れた、働きやすい職場づくり」と言う、 斜に構えてしまっては理想論や夢物語とも取られてしまう内容なのですが、一つ ほんの一つだけですが、私の心に残ったメッセージがありました。 「人間関係って手間がかかる。でも手間をかけないといけない。手間をかけないと、お互いのことを 理解できないし、良い関係を作らなくちゃ良い仕事は出来ない。」 「良い仕事」を皆さんはしてますか? 「良いと思える仕事」を皆さんは出来てますか? そもそも「良い仕事ってなんだったけ」と、考えることはありますか? 「そんな余裕は無い!!」と、切り捨てて、自分の内側だけに篭っていませんか? 少しだけ、私と同じ「参加者」の方と話し合う機会がありました。 お互い(私はそれでも、努めて前向きな言葉を出そうとしましたが、言葉に影はあったと思います。) 口をつくのは「時間が無い」「余裕が無い」「面白くない・楽しくない」果てや「どうでもいいし、面倒くさい」 と、言ったことばかりです。 素性は、しっかりとここには書けませんが(かもしだしてもわかると思いますが) 「お客さまを中心に『人間』と『地域』と『社会』の為に存在する企業」とは、言いがたい風土が、 私の会社には、あるのかも知れないなぁ。 行き帰りの電車の中で考えました。 「それは、上司や同僚や部下との関係で感じてしまっているんだ」と、言うことを。 誰かに責任転嫁するのは容易いけど 時間も余裕も、作るのは自分 面白く楽しく仕事をするのも自分 人間関係を作るのも、壊すのも自分 「最善と思いつく、自分の行動」に最後まで責任をもてるなら、「自由に仕事が出来る」そんな環境に私たちはいるのだと思います。 思いと行動をこれからも伴わせて、私は「明日も生きていたい」と思います。 三日坊主ではいけないと想い、重い腰を上げてブログを書いてます。
※と、言うと書きたくないのかな。と突っ込みを受けそうですが、そんなことはありません。 皮算用というと「取らぬたぬきの」と言う、「もしこうであったら」と思うだけで現実は伴わないという例えでありまして、 これまでの私に実に「あっている」諺であったと思います。 と、言うわけで、とりあえずブログはここまで書けたので、 明日一文でも書くことにして(昔「一言でもいいから毎日書けよ!!」と言われたこともありました) 今日のブログは終わりにします。 と、、、、、、、、、、、、、、、からの...........................。 本編です。 今日は、ICT導入に向けたミーティングをしました。 てっきり、社内で議論するだけと想い、それなりのそれで充分と思える準備をしたいました。 ところが、社外からも大物の営業マンの方がいらっしゃり、 「salesForce」の利便性と、私たちのニーズに答えるサービス提案、 ひいては、将来性潜在化しているターゲットへのアプローチとケア、 そして顕在化しているユーザーへのアカウンタビリティの有用性と可能性 さらには、データベースの有効活用事例、そのシナジー効果、 もっと言うとデモラフィック変化への着目から見えてくる.会話が活発となって 私たちの目指すべき目標に対する戦略として、この取り組みは保全としても....。 な、訳の無い一日でしたよ。 「ICT導入に向けたミーティングをしました。」と言う所までがノンフィクションです。 真実はひとつ でも、「真実の捉え方」は人によって違う そうであると思います。 <たとえば>価値の考え方(「コウモリに噛み付いたり、自分の車で自宅に植えた樹に物損事故を与えた男との愛」著:シャローン・オズボーン/1983・安息社刊行)では 「花を育てたい」と思っている人に、肥料を薦めることはあっても「下剤」をお勧めしないでしょう。 「お腹がすいてる。いますぐに、何かを食べたい!!」と、思っている人には手元に「野菜の種」と「おにぎり」があれば、「野菜の種」を渡すことはなく、「おにぎり」があれば、それを渡すでしょう。それでいいのでしょうか。 この本は「どちらも「相手」に起こる「結果」を見据えた行動を、自分が取ったかどうかが重要だ」と説いている。 この例から言うと ・下剤は結果的に「出たもの」が肥料になるのかも知れない(有機的!!) ・おにぎりは食べておしまい、でも野菜の種は連作して、これからも収穫することが出来るかも知れない と、言う目先のことと将来性どちらを冷静に考えるかが重要であることを説いている。 実に奥深い。 極めつけの例は 「あまりにも、旦那がクレイジーだから、ライブ中に本物のコウモリを投げつけてやったの!!あの時はおもちゃの蛇や蛙を噛んで客を驚かせるサービスがウケていたから、コウモリをやりたかったんだけど、なかなかリアルな奴がなかったから、自宅の庭に落ちていた死骸を拾って会場に持っ行って、ライブのクライマックスで投げつけてやったの(爆笑)!!そうしたら、『ガブっ』ってダンナが噛んだあと、やっぱりわかったんだと思うわ。『本物のコウモリだ』って。血相抱えて(抱腹絶倒寸前)それから、病院に連れてって、血清を打って...。後で聞いたら『あいつ(コウモリ)だけはヤバイぞ。誰だあんなことをしたやつは×××(掲載を自粛)』って言ってたわ。それ以来、世に言う『ゲテモノ(普段食べないもの)』には、どれだけ興奮してても噛ぶりつく前に、一度目を見るようになったそうよ。結果的に、『あの日・あの時・あの場所でコウモリを食べて死んでいたら』と思うと、『やたらめったら噛むクセを辞めたこと』は彼の命を永らえることに繋がった。でも、彼が命を永らえることによって、結果的に『*****(こちらも掲載を自粛』に陥った人も、私を含めているわけなんだけど(抱腹絶倒!!)オッケー!!(何が!?)」 【結論】 「行動に責任を持たなくてはならない」と、言ういい意味の事例だと思うが 「出来るだけ意識をもっておこう」と言うだけに、私は留めたい。 責任に押しつぶされると、人間は身動きできなくなるのだから。 と、言う訳で、結論はノンフィクションですが、今日のブログに登場した人物や本、エピソードは架空のものです。 | カレンダー
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42
性別:
男性
誕生日:
1982/09/03
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