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日常のことを思いつくまま綴ってます。
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日が変わる前に寝ているのだけれど

起きると12:00を回っています。
「午後の」です。

昨日はひどかった。
夜中に急に吐き気を催して起きてリバースしてしまって
布団が紫色に染まってました、、、。

ワインでも飲んだわけでもないのに、、、。

クスリの影響かどうかわかりませんが、次回の受診でこのこと(午後起きること)を相談してみようと
思います。嘔吐は一回だけだし(いまのところ)


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昨日のことだけど

昨日の晩御飯はこれ

「牛モモステーキの工程(備忘録)」
①牛は1~2センチくらいに切る
②マジックソルト、シオ、コショウをして1時間常温で放置
③フライパン(中~弱火)で両面に焼き色がつくくらい焼く(片面1分くらい)
④火を止めフライパンに蓋をして5分間放置
⑤フライパンにお酒を入れてファイヤーダンス。
⑥水分がある程度飛んだらお皿にもりつけて完成!!
※つけあわせは冷凍ほうれん草とミックスベジタブルの炒め物

これです。

それとは関係ないのですが
近くのセブンイレブンの棚にあって気になっていた
限定ガンダムをとうとう買いました。

セブンイレブン限定だけに、会社から非国民と言われそうですが。
うちも開発したらいいのに。って思う。
ガンダムで先を越されたから「ジオング」あたりで(苦笑)

そんなこんなで寝るのが遅くなり
起きたらAM11:00
起きる最後の夢は「プラモデルを買ってつくる夢」でした。。。。

夢を語る「モウドクシャ」

「ぼうとくしゃ」とタイプしたら
「冒涜者」という漢字がパソコンから返ってきた。

日本語を正しく使えない「日本人」問題は解決したのだろうか。
論議・議論・討議・紛糾・また論議に戻って....。

結論は出ない。

ただ言えることは『日本語を正しく使えない「日本人」問題は解決したのだろうか。』と、
言う問題を抱えたまま、解決は無いけど日々を過ごしている「日本人」が少なからず居る。
と、言うことだ。

勿論、私も含めて。

パソコンのOSは変遷を遂げていて
65歳になる父親が「Windows8」を購入して大正解だったと(勿論、大成果と受け止めたのは僕です)
明言しながら「WindowsXP」の終焉について、これまでのこと(パソコン好き)を懐古していたことに
衝撃を受けた。


僕はといえば、携帯電話は「スマホ(iPhone)」を使っているし
作業は、iPdadに変わりつつある。


この惰性でマッキントッシュを代表とするappleにパソコンを移行できたらなぁと
思ってる矢先に出会ったので

「Windows」の素晴らしさはわかる。云々。を言った末。これからは。

で、喧嘩になりそうなので辞めました。


Appleは確かに戦略や技術や宣伝はWindowsに勝るとも劣らない
でも「勝るとも劣らない」と言う日本語は正しくない。と、思う。

自分がしたいことを、したいだけ出来る環境が人間は欲しい。

それをコンピューターに求めているのであって、
コンピューター側から(ましてや自動的に、受動的に、もっと言うならコンピューター側から人間に)
「理想と思う夢はこれでしょう?(願望や熱望を)」と言ってくれることをは人間は、
宜しく思っていないのではない。

そんな世の中になる「ような」技術革新の目覚しい時代である。

心掛けていないと思うことは
「そんな世の中で、人間は身分や、人種や、様々な柵(しがらみ)などを乗り越え『心から幸せである』」と
言い切れるかどうかではないだろうか。

今年で31歳
コンピューターと向き合って(生活の一部となり)15年

間違っても、「コンピューターから指示される人間ではない」と、言い切れている自分を保てている。


夢の冒涜者でありたい


でも、いつまでも

夢を忘れた「妄・猛・網・盲・耗・読者(いわゆる、もうどくしゃ)」には、なりたくないものである。

 

まだやることがある

NIRVANAの「ブリーチ」は愛聴盤である。

Queenの「オペラ座の夜」も愛聴盤である。

英語は苦手なのですが、音から伝わってくる感性がくすぶらせてくれるものです。



と、関係の無いブログです。

最近、処方箋の調子が悪い。
処方箋を投与される生活を送れていないのが原因かもしれない。

つまり「あるべき生活の上で、処方箋は役にたつ。でも処方箋が生活を変えてくれる訳ではない。あるべき生活をまず送ることは自分にしかできない」

それが出来ていなくて

妻にも子供にも無意味な問いかけをしてしまった。


反省している。



と、時間はさらにめぐって


時間をもてあましてしまうの(私のように仕事をしてい人にとっては)
今日は豚の角煮を作ろうとこころみている。

下煮に2時間、味を染み込ませるのに2時間

上等な時間の潰し方です。


NIRVANAの「ブリーチ」は愛聴盤である。

Queenの「オペラ座の夜」も愛聴盤である。

聴きながら煮込みの「時間」潰しを試みている。


無駄なのか

価値のあるものなのか

出来上がった「モノ」を見なければ判別が付かない。


時間の使い方はへたくそだけれど
時間の大切さは理解している人間だと自分に言い聞かせないと

たまらない。

遅いような速いような時間が

いまも過ぎ去っている。

あなたは何を見て、何を心に刻んでいるのだろうか

それを知らずに。

私は生きておらず、息だけをしている。
止まった時計

久しぶりに悲観的な要素も踏まえてブログを書いてみる。。。

自宅には「時計」と呼べるものがいくつもある。
掛け時計、腕時計、砂時計、携帯電話の時計、腹時計

などなど

現在の時刻を、適時確認するために「それら(時計)」は存在するのだが、
こと私のような(現在は雇用は確保されていても『実態は無職』)存在になると

時間と言う概念がなくなってくる。

そういえば「いま何時」「そうねだいたいね」な(わかる人はわかるフレーズであるが)、
感覚なのです。

「過ぎた時間は過ぎた時間、いまを大切に」と前向きにもなれないし
「あ、もうこんな時間だ、そろそろ◎×しないと」と言った責任感も駆られない

この状況を「時間」に表すと「◎時◎分です」と表現できるだけでしかない。

自由とも言えるけど
不自由であり

不毛な時間が行き過ぎていくだけなのです。


約束は作ったほうがいい
でも破れそうな約束はしないほうがいい

これは時間に関してでもある。

私は決められた時間は極力(よっぽどの理由が無い限り)は守るほうだ
でも、破れる(られる)ものであれば、はなっから「しない」のが原則でもある。

時間

でも、器用には時間を使えるわけではないので
いつも30分前以上前には「約束の時間」の場所(付近)でぶらぶらしていたりするのです。

もったいないし、それこそ不毛だと思うけれど
そうせずにはいられないのです。

「相手を待たせてしまっては申し訳ない」と過剰なほどに。

ただ、思っても見ると

約束をした相手と約束をした場所、時間にめぐり合えなければ、
「私は、確かにあの場所にあの時間にいたのです。めぐり合えなかっただけなのです」と、
どこかに責任を負わせようとしている自分が「居た」に過ぎないのではないか。

とも思ってしまうのです。

時間という概念が嫌いなのです。

時間に左右される人間関係やモノゴトが苦手なのです。

自分は最善を尽くしても時間という「有無を言わさず、根拠を示してしまうアイツ」が憎いのです。

時間を無視した生活を強制的にこの3日程過ごしてみました。

気づいたのは「堕落してしまう」ことでした。


昼過ぎに起き、夜に活発に働き、朝は眠りに付く
この世の中では「至極当然」な生活をされている方は少なくないし、職業においては重宝される
そんな場面はあるでしょう。

でもどんなことであれ「約束(その日、そのとき、その場所に)いる」為に調整していることが前提で
「たまたま」ではないのです。

だから刻むものが欲しい。

「いま自分は何をしようとしているのか、何をすべきか」を判断させるために刻むものが欲しい。

それが時間で、それを示すのが「時計」なのだと思います。



時は止めることが出来ませんが
手近な時計をみたところ秒針は止まっていました
病身の私にとっては実に都合の悪いものです。

休養の上にも、規則正しい生活がなによりでしょう。

この時間はこの様に過ごそうと、こころがけていきたい。

この時間は決まりごとがないから適当に、と、堕落した人生を送らないように、こころがけていきたい。

時間は「自分の意思」を無視して黙って進んでいくが
時間の使い方には「自分の意思」を尊重出来るのだ。
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