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日常のことを思いつくまま綴ってます。
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樹吹(いぶき)くんへ
パパとママは君の誕生を 心から喜んでいます 「力を漲(みなぎ)らせて息吹(いぶき) 大樹(たいじゅ)となること」事に期待をしています 君が無事にママのお腹の中から生まれてくるのを 楽しみに待っていますよ 時々 君はママのお腹の中で「悪さ」をします その度にパパとママは困っています お腹を蹴る度に 僕たちは君が元気なのか そうでないのか 心配をしてしまうのです 今は ママのお腹の中で 「元気に生まれてくる準備」をしているだけなのかもしれませんが 君の「一挙手一動足」は パパとママの驚きと感動と喜びと不安になるのですよ パパとママと パパとママのママとパパと そのパパとママと ママとパパも みんな 君の健やかな成長を願ってやみません まだ理解できないかもしれませんが お腹にいるうちから 君は君であり 僕は僕です どうぞ 「僕の出来たこと」を簡単にやってのけ、「僕の出来なかったこと」の出来る人になってください パパとママや取り巻く環境が君に寄せる気持ちは 「すべておなじ」ではないかもしれませんが 君を 中心にしながら 生きていくことを 了承し 歓喜し 君の誕生を 誰もが待ち望んでいますよ 親愛なる子供の 泉 樹吹 君へ 父親となる 泉 雅樹 より PR と、自問自答したくなるときがある。
それは「自分の存在への反省」を「ヒト」に例え、 誰にでもあることのように置き換えてしまいたくなるからである。 芥川龍之介も太宰治も若くして死んだ。 死に方は惨めなものでしかないと僕は思う。 「自」を問い「自」と共生出来なかったからだ。 人間は泥臭いと思う。 器用なヒトもいて、「人間づきあいが大好き」なように振舞うヒトを見ると、 僕はいつも疑念を抱いてならない。 本当に「赤の他人たるヒト」を、最初から無防備に「好きだ」と表現できるヒトがいるものかと。 相手のことを何もわかっていないままに 相手のことを受け入れようとするのは、非常に難しいし、度胸もいる。 そのはずである。 でも、受け入れようという「隙間」がなければ 「他人」を「知人」にし、やがて「友人」になり「家族」のようになることは出来ない。 と、なれば、「隙間」を作るような、生き方をしたいと思う。 しかし、忙しいと言うか「慌しい日々」の中で、心がけるまもなく時間は過ぎたりしてしまうものだ。 「会いたい時に、あなたはいない現象」に陥るのだ。 話を若干戻すと、芥川にも太宰にも、「輝かしい日々」があったことには変わりない。 でも、どちらも「輝いて燃え尽きた」のではなく、無理やり「磨き、輝かせ」過ぎたのではないかと思う。 ヒトはなぜ...。と頭の中をかき回すのと同時に、 「自」と共生するための「自」に押しつぶされないようにしなければ「歪み」は絶対に生じる。 ヒトに溺れすぎないように、「自」とのバランスを取りながら、 地域、社会、現在、過去、未来と共生していきたい。 しかし、「自」とのバランスを取ろうとするあまりに、 地域、社会、現在、過去、から心も体も距離を置くことはゆるされない。 「ヒト」と言うのは不思議なものだ。 このブログを書き、そして誰かが読むことで、誰かに影響を与えている。 だから、一度は(2008年を境に)、僕もインターネットに名前と作品を残すのをやめた。 共生できないと考えたからだろう。 明日も、このような「あしあと」を残せるかどうかはわからない。 明日どころか、この5分後に更なる「あしあと」を残すかもしれない。 明日はこないのかもしれない。 ただ言いいたいのは、 「僕はもう、病んではいない」 受け取り方は好きにしてもらっていいけど 僕はもう、病んではいません。 あまりにも、関わりたがるヒトの群れに目を伏せずにはいられなくなったので、 逃げ出したのです。 僕は廃者です。 今、青春を謳歌して、29歳になりますが、 最近白髪が増えてきて、「見た目」は40歳を超えたような「風貌」になりました。 をするはずが。
ネットサーフィン(今はこんな表現使うのかな)やら パソコンの中身を見て(整理していないファイルがいっぱい)みたり 懐かしさに浸っていると、もう午後になっていました。 仕切りなおして夕方までには片付けようっと。 このブログ以降、思いついたらまた書きます。
と、言うことで久しぶりの、近況報告をします。 誰も読んでくれないとはいないと思いますが。※ネガティブ でも、誰かが読んでくれていると願って。※ポジティブ 肉が食べたい!!※何を唐突に。 では。はじまりはじまり。 2011年6月6日~10日 中国流通視察セミナーに行ってきました。 スケジュールは北京から青島(チンタオ)です。 「中国の文化を学び、流通業界がどのように世界と関わっていくか」を考えるセミナーです。 内容は、次回以降に書くとして....。 昨年のアメリカ同様に思ったのは 「難しいこと」は会話をすることでした。 もちろん、クルーではなく 「現地の方」です。 日本語を知らずに日本に来るな!! と、思い返してみれば 何回も、主張したことがある私です。 だからこそ恥ずかしい。 日本語が通じない国にいけば「当たり前」ですが 私という存在を滅却されたようなものです。 頼るのはガイドさんと、同行している仲間のみです。 「難しいこと」は会話をすることですが、 「簡単なこと」は「思いを伝える」ことでした。 「あれ」とか「それ」とか」「これ」とか普通に言っていますが 「どう表現したら伝わるか(会話にいれるか)」を考えるより 実際に指を指してみたり、持ってみたりしながら表現したら通じるものでした。 ※と言っても、「あれ・それ・これ」を「どのようにしたいか」を相手が理解してもらえてるのが前提ですから。 日本国内なら日本の常識(と思える)ことが当然であり、 でもそれは幸せなことなのだと痛切に感じました。 ????????????????? と、言うことで、以下は例によって最近の出来事を列挙します。 <箇条書き> ・私の働きかける「労働組合」は6月2日を持って統合されました。 ・そして、現在、横浜から新潟へ向けて異動する引越し準備中です。 ・写真を撮影することに興味を持ち、レンズキット(SONY-NEX3用)を買いました。 ・息子が今年の8月に産まれてくる予定です。(念願のパパか。) ・明日は(念願の)焼肉を食べにいくことが許可されました(嫁さんから) 今、一番真剣に考えているのは 「新潟を去るときに、悲しい思いをさせた友人」と、、 「お互いを高めあえる関係と環境を取り戻したい」と、いうことです。 どうしたらいいのかわからない。 君は受け入れてはくれないだろう。 「男だろうが女だろう」ヒトとして付き合い、お互いを尊重しあうことを、「共生」と頭のいい人は言った。 でも、頭の悪い人は「男と女の(特に配偶者がどちらかにいれば)」が寄り合えば 「浮気」だ「不倫」だと、ヒトは他人事だから好きなように言う。 せっかく新潟に戻れるのだから、一度顔をあわせてみたい相手がいる。 そう思っている、と言う事で今日の手記は止めておきます。 CMの歴史を紐解くと非常に面白いものがあります。
・おしりだって洗ってほしい(ウォシュレット) ・ベンザエースを買ってください(薬) ・家は焼けても柱は残る(住宅) ・当社比**% 他にも週刊誌で ・「@@@の++++は+++か?」 ・「>>が<<してしまう##の真実を追う」 とか、ありますが。 コピーはあくまでも「つかみ」であって「結果」は「つかまれた人に委ねます」と言った所でしょう。 電車の中刷り広告でこんなようなコピー(一語一句はあえて書きません)を見てひっくり返りました。 「本当に◎◎な企業は『絶対に』とか『100%』と言う言葉を使いません。だから私どもは『絶対に』とか『100%』と言う言葉を使わずに◎◎を伝えます。」 信用できますか?「絶対」と「100%」を使わずとも冒頭に「本当に」と使っているこの広告を...。 | カレンダー
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